ずかとも(私):過活動膀胱を患う頻尿おやじ。永遠の20歳(本当は丙午生まれ)
巨大軍港だった呉:その1では「大和ミュージアム」を
巨大軍港だった呉:その2では「てつのくじら館」を
紹介させて頂きました。
最終回のその3では「アレイからすこじま」をご紹介します。
「アレイからすこじま」は小さな公園、散歩道のような場所です。
「アレイ」は英語で路地を意味し、からすこじまは軍港拡大工事で消滅した「烏小島」を意味しているそうです。
ここ、アレイからすこじまに来ると、たくさんの潜水艦を一度に眺めることができます。
なかなか壮観です。
潜水艦だけではなく自衛艦も停泊しています。
友人が従軍記者として出征するのを見送る際、正岡子規が詠んだ歌の碑があります。
従軍する人を送る
陽炎に 心許すな 草枕
恐らく「太陽が照ってポカポカ陽気でも、心許さず常に気をつけろ。生きて帰ってこい」という思いが込められているのでしょう。
呉は「大和ミュージアム」「てつのくじら館」が主な観光スポットですが、ここ「アレイからすこじま」もお勧めの観光スポットです。250mほど坂を上りますが無料の駐車場も準備されています。
戦艦、潜水艦、航空機の製造拠点として発展した街、呉。戦後もその技術を生かし造船の街として発展してきました。製鉄所(日本製鉄)もありますが、設備の老朽化や国内需要の落ち込みの影響を受け、2023年9月までに閉鎖されることが決まっています。ひょっとすると数年後には街の姿が大きく変わってしまうかもしれません。
そうなる前に、より多くの方々に呉の街を訪れて頂き、今の日本の基礎を築いた歴史ある街の一つであることを知って頂きたい。また改めて戦争の悲惨さや、世界平和のために何をしなければならないかを考えるきっかけして頂きたいと思います。
広島にお越しの際は是非呉にもお立ち寄りください。
ではまた。
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