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大和ミュージアム:巨大軍港だった呉:その1

ずかとも(私):過活動膀胱を患う頻尿おやじ。永遠の20歳(本当は丙午生まれ)

 

黄金週間の後半、5月6日(金)。

この日は旗日ではなく平日。

従いたいどんも長男坊もいない。従いカミさんは育児から解放される。従い私も家にいない方がいい。

ということで出かけてきました。

バイクで1時間半くらいかけての街へ。

 

鎮守府の一つ

日本海軍の重要な拠点。鎮守府

呉、佐世保舞鶴、横須賀の4つの都市に当時は鎮守府が置かれていました。中でも呉は戦艦大和をはじめ他の鎮守府では建造できない大型船を造ることができたそうです。

明治維新以降、船や潜水艦、飛行機の製造を担う重要拠点として発展してきた街、呉。今でも造船業(ここ数年は元気がないですが)が主要産業の一つであり、海上自衛隊の基地があります。

 

観光にも力

広島県の観光地と言えば世界遺産「宮島」や尾道、福山(鞆の浦)などが有名ですが、呉は軍港であった歴史や、海上自衛隊の基地の街であることを生かし、観光にも力を入れています。その目玉となる主な施設が3つ(たぶん)。

  1. 大和ミュージアム
  2. てつのくじら館
  3. アレイからすこじま

この3つをゆっくりを見学してきました。

 

この記事では「大和ミュージアム」をご紹介します。

 

大和ミュージアム

yamato-museum.com

このミュージアムの目玉の一つは、スケール1/10の模型です。

逆光なのね。。。

どうやってここに入れたのでしょうね。
考えると夜も眠れなくなってしまいます。

 

戦艦大和の模型以外にも、ゼロ戦や人間魚雷の実物や模型も展示されています。

操縦桿や計器類が生々しい。。。

このような展示物だけではなく、呉の街が軍港として発展していく過程や、日清戦争から太平洋戦争の歴史や、戦艦大和の歴史についても説明や展示がされています。

潜水艦の建造も行なわれていました。

 

また攻撃を受けて沈没した大和の調査が行われており、その様子や引き上げた物品の一部が展示されています。

引き上げられた測距儀

太平洋戦争が始まる前、世界各国が自国第一主義のような政策(ブロック経済)を取っている中、日本は他国への進出を推し進めた(広域経済)結果、政治的・経済的摩擦が大きくなり、そこから第二次世界大戦、太平洋戦争が始まったとか。何となく今のロシアが戦争前の状況に似ていると感じてしまいました。

この大和ミュージアムで心に残る展示物の一つがこちら。

戦艦大和と共に散った臼渕磐大尉の言葉。

「敗戦、戦死は決して無駄ではない。新たな日本を創るために散るのだ」という言葉。

昔、近藤真彦(だったと思うのですが)が出ている戦争映画(タイトルが思い出せない)で初めて耳(目)にした言葉ですが、心を熱くさせるものがありました。

 

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きっとこの時代の人たちは敗戦によって大切なことを学んだのだと思います。その一つは戦争は悲惨なものであり、決して行なってはならないものだということ。そんな先人たちの思いも世代が変わるにつれ薄れていく現実。

きっとどの国でも、特に空襲を受けたり、戦火に焼かれたことのある国の人々はそのような思いを強く持っていたと思います。でも例にもれず世代が変わるにつれ思いが薄れていくのでしょうね。何故なんでしょう?教育の問題??なんだかやるせない気分です。

ウクライナの人々は今まさに恐怖のどん底にいます。世界各国がロシアへの制裁を強化する、イコール、自国への経済的な犠牲を我慢してでも、ウクライナの人々の命を助けなければならない時だと考えます。

一日も早くウクライナの戦争が終わりますように。

 

その1はここまで。

その2では「てつのくじら館」を

ホンモノの潜水艦

その3では「アレイからすこじま」を

潜水艦がたくさん

順番に紹介させて頂きます。

因みに大和ミュージアムをゆっくり堪能するには2時間では少々短いかもです。

 

ではまた。

 

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