ずかとも(私):過活動膀胱を患う頻尿おやじ。永遠の20歳(本当は丙午生まれ)
行ってきました、鬼ノ城(きのじょう)
NHKの「日本最強の城」でも紹介された、岡山県総社市にある鬼ノ城。
戦国時代よりも前に建てられた城(跡)で、なんでも飛鳥時代に建てられた山城だとか。
昭和46年に起こった山火事で石垣の存在が明らかになり、そこから調査、復元が始まったというユニークなお城(跡)です。
見つかった石垣も、いわゆる戦国時代のお城のそれとは違い「どうやってここに石垣を作ったの?」と考えさせられるもの。当時の建築技術の高さを伺い知ることができます。
今では城内を木々が覆っており、当時の姿を伺い知ることは難しいですが、城の外側となる水門跡や城門跡にそれらが復元されています。そしてそれらを見て回ることができる「遊歩道(注)」が整備されています。
注)遊歩道という言葉から連想する生易しい道ではなく、アップダウンは激しく、舗装されておらず土や石、木の根もむき出しです。ちょっとした山登りをイメージした方がいいです。
<写真は空から見た鬼ノ城の様子>
外回りのルート(黄色い点線)に沿って歩くと1時間半から2時間程度かかります。
(山のふもとにある集落と比較すればその大きさが分かるかと)
<案内図>
私は①のあたりを起点に反時計回りにまわりました。
まずは鬼城山ビジターセンターまでバイクで。途中、車ではすれ違いが難しい狭い道を通っていきます。
そこから徒歩約10分くらいで最初の見どころである西門(復元)が出迎えてくれます。
<西門(復元)>
そこまでの道の途中に展望台があり、そこから見た西門はこんな感じ
<西門と角楼(写真左側の構造物、復元)>
復元されたものとはいえ、やはり迫力があります。
<西門>
<西門を正面下から>
建築当時の工法を真似て作られた建物や城壁がなかなかの迫力です。
鬼ノ情のホームページによるとその由来は次の通り。
鬼ノ城は、古代の正規の歴史書には登場しないが、後世の文献である鬼ノ城縁起などにでてくる。それによると「異国の鬼神が吉備国にやって来た。彼は百済の王子で名を温羅(うら)という。彼はやがて備中国の新山(にいやま)に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を掠奪したので、人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた・・・」。これが、一般に温羅伝承と呼ばれる説話で、地名もこれに由来している。
異国からやってきた一族が築いた城が残っているなんてちょっと興味深いです。
以下は西門から反時計回りにまわって撮った写真の数々です。
<敷石>
<敷石の説明書き やはり異国人が作った?>
<南門>
西門と同じように立派な櫓が建っていたのでしょうね。
<鬼ノ城からの眺め>
<東門を望む(画面中央右下)>
<東門>
<石垣の一部>
<はるか昔にどうやってあの場所に積んだ?>
<北門>
<角楼から西門を望む>
これで一周してきました。
<もう一度空から>
天気にも恵まれ、ちょっとした山登り気分も味わえました。
はるか昔に、どんな人たちが、どんな暮らしをしていたのでしょう。そして何故いなくなってしまったのか??
そのことを想像しながら歩いてみるのもいいものです。
次はどこへ行こう?
ではまた。
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