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介護を苦にして心中する人たち:辛ければ助けてと言えるようになるぞ

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悲しい事件がありました。

 

news.yahoo.co.jp

 

事件のあらまし

兄(当時57歳)が、介護していた重度の知的障害のある弟(当時56歳)の命を絶ち、その後自らの命も絶ったという事件。

昨年(2021年)4月の出来事です。

布団に二人並んで亡くなっていました。

「弟の命をたちました。これから弟の後をおいます」

という手紙を残して。

 

薬局を営んでいた一家。

兄は就職のためでしょうか、一度家を離れています。

しかし1998年、兄が34歳くらいの時、父親が亡くなり、兄が実家に戻ってきて母子3人の暮らしが始まりました。

 

母親は「弟は他人を受け入れられない」と思っており、施設や介護サービスの利用を拒んでいた様子。

その母親もやがて亡くなります。

「弟を施設に入れないで」

という言葉を残して。

 

弟思いの、また母親思いの優しい兄だったと思われます。

兄自身も「弟の面倒は自分が見る」と支援を拒んだようです。

生活保護を受けながら、一生懸命、弟の面倒を見続けた兄。

 

兄自身は、家の掃除や洗濯、買い物といった家事支援を受けていたようですが、それでも弟の面倒は兄自身で見ていました。

 

そんな兄にも疲労の限界が近づいてきます。

「介護が辛い」「いつまでもつかわからない」といったことを、生活保護担当の区役所職員にこぼすようになります。

 

そんな時、つらそうな兄の心配をしてくれたのが弟の主治医。

見るにみかねて相談支援センターに連絡。

職員が自宅を訪れ、弟の入浴介助を受ける相談をします。

それが昨年の4月20日。

 

そして翌々日の4月22日に。

22日に入浴介助の支援が決まったと職員が電話をしますがつながらない。

そして24日夜、不審に思った職員が警察に連絡し遺体が発見されました。

22日の正午ごろには亡くなっていたとのこと。

 

母親の罪

「弟を施設に入れないで」

どういう思いでこの言葉を残したのでしょう。

弟への愛情?

約20年の間、ずっと母子3人で暮らしています。

その間に母と兄の間で、どんなやり取りがあったのかは分かりません。

兄が「俺が一生面倒を見る」といったのかもしれない。

だからといって弟への愛情と同じくらいの、兄への愛情の結果がこの言葉なのでしょうか。

私にはそうは思えません。

 

兄の罪

理由はともかく、弟の命をたったことは最大の罪。

しかも入浴介助の相談をしたばかりなのに。

そこまで追いつめられる前に、なぜもっと早く支援を受けようと思わなかったのか。

弟や母親への愛情?

母親のあの言葉の呪縛?

どちらにせよ、とっても悩んだのだと思います。

悩みに悩んで出した結論が弟の命と自らの命をたつこと。

間違った答え。

でも兄を責めるつもりはありません。

 

私の罪

この兄が私とほぼ同い年。

そして我が家にはこの家庭と同じく長男と次男の二人の子どもがいます。

また年子であること、次男に重度の知的障害があることも同じ。
(ニュースの年齢から年子だろうと勝手に判断してます)

他人事とは思えない出来事、事件なのです。

 

長男には、次男どころか、私たち親の面倒すらみてもらうつもりはありません。

私自身がそういう人生を歩んでいるというのもありますが、やはり長男には長男の人生を歩んでほしい。

 

そのためにはどうするのか。

 

まず私自身が健康であること。

そして私が生きている間に次男の終の棲家を見つけること。

やらなければいけないことは分かっているつもりです。

 

でも心配なのです。

 

その終の棲家には当然職員の方や他の利用者がいます。

職員の方や他の利用者から虐待を受けたり、虐げられたりしないだろうかと。

そんな暮らしが次男にとって幸せなのだろうかと。

考えすぎかもしれませんが、実際にそういうニュースを見るといたたまれない。

 

だから「願わくば私より早く」「願わくば次男と一緒に」命が尽きないかと思うときがあります。

その方が次男にとって幸せなんじゃないかと。

こういう考えをしてしまうところに私のだらしなさ、罪があると感じています。

 

でも次男の幸せは次男自身が決めること。

私が勝手に判断することではない。

「私より早く」「私と一緒に」というのは次男の幸せのためではなく、私自身が安心するための勝手な願いなんだと気がつきました。

 

長男にも、次男にも幸せになってもらいたい。

そのためには困ったときには勇気を出して「助けてください」と言える自分にならないと。

 

あと15年。

遅くとも私が70歳になるまでには、次男が終の棲家に移れるよう、今からできることをやっていかなければ。

その行動の中で得た知識は、同じ境遇の仲間と共有し、子どもたちの幸せにつながるようにしたい。

 

とても衝撃を受けた事件でしたが、すこし頭の整理ができたように思います。

 

亡くなられたご兄弟のご冥福をお祈りします。

最後までお付き合い下さりありがとうございました。

 

ではまた。

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