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手話は言語。日本語とは非なるもの:ハートネットTV「静かで、にぎやかな学校~手話で学ぶ明晴学園~」

たいどん:重い知的障害のある自閉症児。永遠の2歳(高2になりました)

ずかとも(私):過活動膀胱を患う頻尿おやじ。永遠の20歳(たいどんのパパ)

 

NHKの番組からです。

ハートネットTV「静かで、にぎやかな学校~手話で学ぶ明晴学園~」

 

冒頭、小学校6年生の児童が言っていました。

 

ろう者は聴者から障害者だと見られてしまう。

聞こえないこと以外は全て同じなのに。

障害者と言われなくない。

対等でありたい

 

衝撃的でした。

小学校6年生の児童の言葉です。

 

 

手話は言語(日本語とは異なる)

東京にある私立の学校「明晴学園」。

全国に86校あるろう学校の中で唯一、全ての授業を手話で行なう学校。

手話と日本語のバイリンガルを目指している学校。

 

www.meiseigakuen.ed.jp

 

この学校では

第一言語:手話

第二言語:日本語

となっています。

 

最初はこの意味が分かりませんでしたが、番組が進むにつれ理解できるようになりました。

 

子どもたちは手話で楽しそうに会話をしています。表情はとても豊かです。本当に心から笑っているんだと思える笑顔も素敵な子供たち。

私は手話はできません。でも子供たちの話の内容が理解できます。

 

それは何故か?

 

画面の下に字幕があるからです。

 

当りまえと言えば当たり前なのですが、これって英語の映画を観ている場合と同じですよね。翻訳者が英語を日本語に翻訳してくれているように、手話通訳者が手話を日本語に通訳してくれているのです。

言語が「耳に聞こえる」ものなのか、「目にみえる」ものなのかの違いだけであって、英語を、手話を、その言語を知らない人には意味不明なもの。翻訳者や通訳者を通して理解できるもの。それが(日本語以外の)言語でした。

 

口話教育の弊害

口話教育とは、人が話しをしている口の形から音(言葉)を読み取る教育のこと。教育というよりは訓練であり、勉強よりも訓練を優先する学校が多い。ろうをマイナスに捉えてそれを補うための教育。(注:番組では昔の教育として口話教育を紹介していました。今の多くのろう学校も口話教育が主流なのかどうかは紹介されませんでした)。

 

友達と遊びたい、勉強したいという夢を持って学校に入学しても、訓練ばかりではつまらないですよね。

この明晴学園に子供を通わせるために地方から引っ越してきたご家族もいらっしゃいました。その中の一人の保護者の方がインタビューに答えていました。

「子どもが「学校が楽しい」と言ってくれる」

「前のろう学校の時は殆んど何もしゃべらなかったのに、いろんな話を(手話で)してくれるようになった」

 

子どもたちが生き生きと楽しみながら勉強する場所。それが本来の学校のあるべき姿なのだろうと思えてきます。

 

手話教育

この学校には独特の授業「手話科」があります。

手話教育とは日本語を単に手話にするのではなく、言葉の意味を深く考え、一つ一つを丁寧に手話で表現していくというもの。

例えば春の歌の詩の中に出てくる「ホッとした」や「風がそよそよ」をどう手話で表すのかをみんなで考え表現します。手話を育む授業です。

特徴的だったのは子供たちの表情。手指の動きだけではなく、表情も変えながら思いを伝えようとする子供たち。手話には表情も大切な要素だそうですが、これがとても人間らしく思えました。

 

日本語教育

子どもたちは「作文(原稿用紙に文字を書く)」が苦手。番組の中でも「NO~NO~」と(手話で、でも楽しそうに)拒否するシーンも。しかし避けては通れません。

 

テーマを決め、まず書きたいことを手話で表現し、それを文字に起こします。でも「手話は日本語とは異なる言語」。手話で表現できることをどのように文字で表現するかは難しい。

 

出来上がった作文を先生に見てもらいます。そして先生は分かりにくい部分、子どもがうまく(文字で)表現できていない部分を指摘し「どういったことを伝えたいのか」「その情景は」などを聞き出しアドバイスを与えます。

決して「こう書きなさい」ではなく、子どもたちが伝えたいことを優先しそれに合う書き方をアドバイス。そうすることで子どもたちの日本語の語彙力、文章力も向上していくのでしょう。

 

手話と日本語のバイリンガル!!

なるほど!!

 

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同じ子ども、同じ人間

番組の中で将来の夢を質問された子供は

「ケーキ屋さん」

「BMX(自転車)のプロ選手」

といった答えを言っていました。

聴者の子どもと同じですよね。

 

また「動物園にいる動物は幸せか?」というテーマで賛成派と否定派に分かれ討論会を行なっていました。

しっかりと自分の意見を言い

そして人の意見を聞いています。

これって人として大切なことですよね。

 

 

冒頭の小学校6年生の言葉をもう一度書きます。

 

ろう者は聴者から障害者だと見られてしまう。

聞こえないこと以外は全て同じなのに。

障害者と言われなくない。

対等でありたい

 

障害者を障害者として区別・差別しているのは、もっと言えば障害者そのものを作り出しているのは、今の教育であり、健常者と言われる人間であると思えてきます。

 

耳が聞こえない、目が見えない、声を出せない、歩けないといった様々な特性があっても、自分の意見を持つことができるし、人の意見を聞くこともできます。何かを生み出す能力・可能性をも持っています。

これが対等でなくして何なのでしょうか。

 

終わりに

その1:難聴少女死亡事故について

先日記事にしたこちら。

 

zukatomo.hatenablog.com

 

事故で亡くなった少女が難聴であることを理由に賠償金の減額を求めている被告側。

この被告側をはじめ、裁判関係者にはこの番組を見て頂きたい。

 

その2:国連による障害児の分離教育中止要請について

この明晴学園は分離教育に含まれるのでしょうか?

(正直なところ、私は国連の勧告をよく理解できていません)

 

例えばここで取り上げたろう学校。問題は口話教育(訓練)にあり、明晴学園のような教育を行なえば子どもたちは生き生きと成長できるのではないでしょうか?

国連の勧告はろう者と聴者を同じ学校、同じ教室に入れろということではないように思えます。

その子供の特性に合った方法で、同じ教育を受けさせろと言っているのではないでしょうか。

 

例えば耳が聞こえないから音楽の授業は無理、目が見えないから美術の授業は不要、などといった区別・差別をするなと。例えば体育など特性の違いの影響を受けない授業までも区別・差別するなと。

(注:各種学校でどんな授業があり、どんな授業がないのかは調べていません)

 

現在のように親や子供の希望を無視して「この子は○○という特性があるからこうです」という教育委員会(?)の一方的な決めつけに勧告を出して是正を求めているのではないでしょうか。

 

大切なのは一人一人が同じ人間であることを認識し、その子の特性に合った方法で教育を受けさせ、その子の夢の実現、才能の開花を後押しすること。そういう教育が求められているのだと思います。

 

そんな教育が一日でも早く実現することを願っていろいろとできることをやっていきたいですね。

 

この番組はNHK+で9月29日(木)午後8:29まで観ることができます。

 

ではまた。

 

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